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やきもの

久しぶりに陶芸をしてみた。 信楽の土を買ってきて、さて菊練りから なんて張り切ったら、もう練ってあります。と ビニールのパッケージに書いてある。 だよね。世界堂で試しに買ったんだもの。 手捻りで、器を作るなんて何年ぶりだろう。 学生の頃は本当によく焼き物を焼いていた。 陶芸というより焼き物という言葉がぴったり。 土を笠間や益子に買いにいって 釉薬は自分で作る。 ストーブの雑木灰、松灰。 大学の梅の木を剪定したり桜の木を切り出す時は木の下に色々な学科の学生が数人待ち構えていて、 落ちた木の枝を争うように拾っていた。 私は灰釉薬にする為、友人は染物にする為、木工の学生もいたと思う。 木によって色が変わり、木灰釉独特の渋い色合いがなんとも好きだった。 素焼きを野焼きですることもよくやった。 一度学校の広場に深さ3メートル近くある穴を2つ掘って 1つは棚を側面に掘り窯に、 もう一つは煙突、 という原始的な窯を作って焼いた事がある。 学校に一晩泊まる許可を得て、一晩中薪をくべて火を焚いていた。 とても優れた窯で 素焼きなのに、1000度近くまで上がって 妙な達成感があった。 因みに穴は1週間くらいかけて掘った。 武蔵美は、私達世代の学生が学校に穴を掘り過ぎて、今は穴を掘る事も、焚き火をする事も禁止らしい。 私か?ゴメンなさい。 焼き物ばかりしていたので、彫刻作品が出来ず、3年生の夏休み開けの作品講評に素焼きの色々な色の粘土で作ったレリーフを出して、教授に失笑された。評価はとても低かった。 そんなにやっていたのに、なんで続けなかったのか。 幾つか理由があるけど、1番の理由は、自分の作る形がどうしても好きになれなかったから。 ヘタクソなだけでなく、土に仲良くしてもらえなかった。 先日、京都の楽美術館での本阿弥光悦の器を見た。 「光悦ふり」という展覧会で光悦に影響を受けた名だたる作家が作った光悦ふりの茶碗が並んでいた。 それはそれは見事な茶碗であった。一つ一つじっくりと味わい、二階に上がって行った。 ひときわ温度が低いような部屋に吸い込まれると、 中にあったのは光悦の銘品だった。光っていた。 特別なものだった。土は本当に正直だ。全ては人となりだ。 こうして数十年ぶりに、土をいじっていると、 少し成長している自分を感じる。 恥ずかしいくらい薄っぺらい形が目の前にあるけど、 それでも20代の頃よりは手から滑り出すように、形が出来てくる。 前よりは少しは土に仲良くしてもらえそうだ。 ナホ

 
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